Sanamin’s blog

オタク

年上に見られる女オタク

女オタクが若く見られた話は定期的にsnsに投稿される。自慢したい気持ちもわかる。
この文章は常に実年齢よりも上に見られてきた女の愚痴だ。毎回複雑な気持ちになっているのを文章にしただけなので、例え年齢若く見られたのもそれを投稿するのも私に気にする必要は全くない。

大体「〇〇(年齢や学生)ですか?」と聞く時、聞く側は思っているより若い年齢を提示する。接客業なら尚更だろう。
その後「えー見えませんよ〜」と言う気満々なところを「もっと若いです」と告白するのは空気が微妙になる。しんどい。頑張って話そうとしている態度に申し訳なくなる。


年上に見られたことは、人生で数えきれないほどある。年上に見られても年上と遊んだ訳でもなく、同級生と遊んでばかりで先輩とは馴染めなかったので自分ではよく分からない。

よく分からなくても外見から私は年上に見られる。

覚えている中で一番最初の記憶は小学校低学年の時。もっと年上かと思った、的なことを言われた。詳しくは覚えていない。お姉さんに憧れていたので嬉しかったと思う。

中学生では美容院で高校生料金を請求され、渋谷や109で「高校生ですか?」と聞かれた。この辺りから年上に見られると複雑な気持ちになった。高校生と言われても嬉しくなかった。落ち着いているから高校生に見えた、と言われたけどこの場に来る高校生が落ち着いてないと言っているようで失礼な人だと思った。高校生じゃないです。

高校生では別の美容院で「大学どうですか?」と聞かれた。出された雑誌は一人暮らしのお金や恋人や性事情に溢れてて驚いた。制服で行きたかったけど寄り道は校則違反なので私服で行ったのも一因だろう。美容院では手持ちの本を持っていくことにした。
それから雑誌は常に断っている。本や漫画を読めば髪に関すること以外で話しかけられない。
初めに「何かあったら気にせず話しかけてください」と断ってから読めば私は気が楽だ。

高校の卒業式を終えた三月に、「もしかして同じ年齢?」と話しかけられた。その人は二十八歳だった。その人はとてもはしゃいだ様子で聞いてきて、違いますって言うのはとても申し訳なく感じた。高校を卒業したばかりと言ったら「ごめんね」と謝られた。
私はその時初めて謝られた。でも、私は今まで年相応に見られたことはないし、ごめんね、と謝ったその人にさらに申し訳なさが重なった。

とはいえ、若いねとか年相応だねとか言われた経験はある。でも多分それは外見からではない。
高校生一年生の時、留学先の学校で学力の関係で大学生以上が集まるクラスに振り分けられた。その時、私は政治とか経済を周囲の人に比べて全然知らなかった。学費についてとか議論してとか言われても学費がタダな大学があると知らなかった。
初めて「若いね」と言われた。「年相応だ」と初めてイタリアから来た人とチリから来た人とニュージーランドから来た人に言われた。
この時の『若いね』は『青二才』とか、『若いからしょうがない』とか、『未熟だ』って意味が込められていた。
見た目からではなく、教養がなくて『若い』と言われたのだ。

見た目で年相応だとか、若いとか言われたことは一度もない。

 

見た目から年齢や属性を言及することで話が広がるのはわかる。分かりやすくて、見た目の話題は他人の嫌なことや奥深くに触れない可能性が高い。

大体「〇〇(年代や学生)ですか?」と聞く時、聞く側は思っているより若い年齢を提示する。接客業なら尚更だろう。
その後「えー見えませんよ〜」と言う気満々なところを「もっと若いです」と告白するのは空気が微妙になる。しんどい。頑張って話そうとしている態度に申し訳なくなる。
でも、虚偽の年齢を申告するのもそれはそれで話が合わなくなりそうだし、素直に申し訳なさそうに、もしくは馬鹿みたいに無邪気に実年齢を言うしかない。
正直言って、しんどい。
見た目から判断した年齢に関する質問とか、〇歳に見えるとか、言われた時点で「嫌だな」と思う。
褒めるつもりで、気分を良くしてもらおうと言っているのがわかるときは特につらい。必要な時はちゃんとアンケートに生まれた年くらい書くから。

若く見られたら嬉しい、は誰にでも当てはまるものじゃない。馬鹿にされたようだと感じる人もいる。
嬉しい人も嫌な人もいて、それぞれ感じ方が違うだけ。感じ方は自由だ。

「〇歳に見える」は諸刃の剣に見えるが、そもそもルッキズムやエイジズムに基づいた考え方だ。エイジズムとルッキズムからの脱却は進むべきだと思う。


最近は美容院で美容師さんと漫画や映画の話をするが互いに作品の中の相手が何が苦手なのか、とか色々と探りながら話をしている。オタクなので好きな作品でも苦手ポイントや嫌いなポイントがあるのはとても分かる。そうして慎重にコミュニケーションする。
適当に見た目を褒めるよりずっと疲れると思う。作品は自分を通してでしか見えないので必ず自身の内面が関係するし、自身の内面を会ったばかりの人に話すのは嫌な人もいる。
でも、見た目を適当に褒めたつもりでも、相手が実は想像もできないような嫌なトラウマがあったり、嫌な気持ちになるかもしれない。

会話って難しい。

とはいえ元々コミュニケーションはとても難しいし、意思疎通を図るのも難しい。